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    が、房一をよく知つている者にとつてはその低い居場所がよけい注意をひくらしかつた。千光寺の住職は何気なく一座を見廻しているうち、思ひがけない所に房一を見つけ、ちよつと顔色を動かせた。それから、時折房一の視線を捕へて会釈ゑしやくしようとしたが、遠くて駄目だつた。庄谷は逸早く房一の席に気がついたらしい、が、その殆ど白味ばかりのやうな細い眼にちらりと微笑を浮べたきりだつた。

    殆どおたがひの鼻と鼻とがくつつきさうな位置のまゝ房一はいやでも相手の黒味がかつた眼玉と向き合はなければならなかつた。それはこつちを見ている間中、ちつとも目瞬またゝきをしないふしぎな眼玉だつた。その上、あんまりしつこく見られるので、嫌でも気づかずにはいられなかつたのだが、その黒味は何だか鼠のそれを思はせるやうな薄濁りのしたぼやけた黒味で、そいつが墨のにじんだみたいに眼玉中にひろがつているのである。房一は何かの本で、眼はその人の心を映す鏡だ、といふことを読んだことがある。別にそれを覚えていたわけではないが、その眼玉は一体何を考へているのか判らないやうな気が房一にはした。

    房一が云ひかけると

    「ふむ」

    「千光寺さんに使ひをやつたのかい。――誰もまだ行かないつて?――何あんて間抜けだのう。庄どん、お前一つ行つて来とくれ。提灯ちやうちんを忘れるなよ。もう皆さんがお集りですからお迎へに上りました、つて云ふんだよ。うん、うん、さうよ。いつしよにお伴をしておいで」

    男はじろじろと房一を見ていた。

    その時、突然練吉は、房一がさう云ひかけたまゝ当惑した表情になつたのを見た。

    「ふむ」

    彼のかういふ復讐が完全に成功した後、又町側の子供等からの復讐が企まれた。それは夏の頃で、河では水泳ぎがはじまつていた。子供達の仲間々々によつて河もその泳ぎ場所がきめられていた。町場の者は稍上手かみての大きい岩のある淵のあたりで、房一たちの組はその下手しもての淵からゆるやかに流れ出た水が、次第に急に流れはじめる一帯の、やはり岸には大きな岩があつて、流れの中央に僅かに水面から滑めらかな背を露はしている岩があつた。そこでは水は泡こそたてなかつたがよく見ると縞のやうな流線を造つて速く流れていた。房一たちはその岩の背に匍はひ上つては水の中に滑り滑りしていた。上流では町場の者等が泳いでいたが、彼等は諜しめし合はせていつのまにか流を泳いで下り房一たちの場所に襲つて来た。意味のない叫声や、水沫や、それらが入り混じつているうち、彼等は房一の足を水中に引き、頭を押へつけにかゝつた。他の者はいつか岸辺に匍ひ上つて、遠くから房一の追ひまはされるのを心配さうに眺めていた。およそ日焼けした小さな裸体の群の中でも房一の身体がよく目立つた。岩に匍ひ上り、水に跳びこみする彼の黒い皮膚が水に濡れて日を浴びきらめいて見えた。そのうち彼は姿を消した。やがて、岸にいる者の眼には、彼がはるか下流の水面にぽつくりと頭をもたげたのが認められた。彼等はそのとき始めて歓声を上げた。そして、思ひついたやうに石を拾つて河の中の敵に投げはじめた。房一はそのとき対岸に上つていた。岸に立つて首をたれ、ぶるぶるつと身体を顫ふるはしたかと思ふと、水を吐いた。それから、上手に新しくはじまつた合戦を一瞥すると、それはまるで他人事ひとごとのやうに自分の衣物をひつかゝへて、さつさと家の方へ一人で立ち去つてしまつた。

    「へーえ」

    房一は鬼倉に向つて叮重ていちように云つた。

    「あいつももう仕かたがないのですよ。『青ペン』通いばかりしているのですから。」

    「な」の字さんもわたしも足を止めながら、思わず窓の中を覗のぞきこみました。その青年が片頬かたほおに手をやったなり、ペンが何かを動かしている姿は妙に我々には嬉しかったのです。しかしどうも世の中はうっかり感心も出来ません、二三歩先に立った宿の主人は眼鏡めがね越しに我々を振り返ると、いつか薄笑いを浮かべているのです。

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